酒神がもたらす酒の力
9月に入り、いよいよ日本酒造りのシーズンが約1ヶ月後に始まります。
最後のあがきとも言わんばかりに、先日は久々に陶酔気分を味わっておりました。人と一緒に飲めば話も弾み、やはり良いものです。
酒は飲み方次第で毒にも薬にもなる。
お酒は、ここ最近世界的にアルコールに対する規制が強化されており、タバコなどと同様、西洋医学的な健康観点からすると否とするのが妥当という風潮にさらされております。
たしかに、医学的観点で見れば、酒はタバコなどと同様、身体に毒であると言わざるを得ないのでしょう。
参考:酒は毒か薬か? 酒ジャーナリストが医師に聞いた
しかしお酒は、単なる飲料とは異なり、現代医学などの狭義な領域を超えた視点でみれば「百薬の長」にもなりうる文化的産品です。
お酒の効用は、たとえば「人付き合いの潤滑油」などとも言われますし、有史以来人類がいずれの文明においても大事にしてきたものであることは歴史が示している通りです。
たとえば、ギリシャ神話におけるディオニュソスやローマ神話におけるバッカスは、どちらも同一の「酒神」として有名です。
かの哲学者ニーチェは、『悲劇の誕生』で芸術はアポロン的な造形芸術と、ディオニュソス的な音楽(非造形)芸術の並行と対立によって発展したと提起したのは有名な話です。
彼は、陶酔(ディオニュソス側)の世界が文明にもたらした影響について考察しています。陶酔がもたらす、酩酊、興奮、生命力などは、音楽や舞踏、抒情詩に寄与すると論じ、単なる身体的影響だけでなく社交的・文明的な力をも示唆しています。
アポロンとディオニュソスは、非常に分かりやすいアナロジーで有名なので、現代でも芸術のみならず援用されますが、近代合理主義が台頭する19世紀において陶酔の美学を復権しようとしたニーチェに思いを馳せたくなるのは私だけではないはずです。
今、「正解」が無い時代に我々は晒されており、合理的で類推可能で画一化された無矛盾な生き方(いわゆるアポロン的な生)そのものが崩れ始めています。
酒神のもたらす適度な陶酔は、忘れつつある生命力を惹起させ、矛盾に満ちた現代社会を生き抜く活力に転化します。
健康ブームが世界的に隆盛を誇り、コスパよくシンプルな生き方が取り沙汰される現代、改めて酒と人類がどのように付き合ってきたのか。
たまには一杯やりながら、一度振り返るのも良いですね。
西堀酒造六代目蔵元:西堀哲也