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麦ストローから考える、日本文化

先日のニュースでご存じの方も多いと思うが、スタバのプラスチックコップが紙に移行したようだ。参考:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200925/k10012634971000.htmlアイスコーヒーなど冷たい飲料を入れるカップを、プラスチック製から紙製に変更するとのこと。数年前からストローは紙に切り替わってきており、カップまで順次「脱プラスチック」を進めているようだ。このような「脱プラスチック」の流れは、コンビニ弁当の包装簡素化や最近のレジ袋有料化など、スタバに限らず、今後も環境に配慮した資源利用の流れは社会全体で進んでいくようだ。ちなみに、麦のストローを知っているだろうか。今年の夏、とある機会に立ち寄ったカフェで、はたと出会った。まだまだ暑さを感じる時期、喉が渇き立ち寄り注文してみた梅ソーダに挿してあった。大麦の茎をストローにするとは、風情ある演出だと思った。思えば、ストローはStraw(藁)である。古代メソポタミア文明、シュメール人の陶板に葦のストローでビールを飲む人の姿が描かれていたことは有名だが、日本でもプラスチックのストローが出る以前は紙、そして大麦の茎(麦稈)を飲み物に挿して飲んでいたようだ。麦秋という言葉があるが、夏の季節に冷たい飲み物を麦ストローで飲むのは、何か良い。和食にも似たところがある。これは、単なる対象そのものの味わいに留まらない。時には季節を、自然との繋がりを感じさせる。別記事参考:「和食」とは何かさて、日本酒はどうか。酒蔵視点では、アウトプットが「酒」であるため、ラベルを貼った瓶、または化粧箱くらいまでしか気にしないことが多い…。けれども当然、酒瓶の先にも、酒器や合わせる料理、食器、嗜む空間・建物など、あらゆる要素があるはずだ。そして、味わっているのは、その総体だ。日本文化とは何かを考えたとき、以前何度か記事に書いたが、「自然」がキーワードになる。自然と馴染み、共に暮らしを営んできたのが日本人であり、「〜すべき」という厳格主義というよりもむしろ、「自ずと然り」の自然体の生き方が日本には根付いていると思う。日本は、自然のあらゆる場所に神が宿るとみなす、多神教が土台である。それは、古代の日本人が山や海や川を見て、何かを感じていたことの表れでもある。季節の移り変わりを肌で感じ味わう感性が、脈々と育まれてきたはずだ。文化の継承には、目に見えないもの、感性が重要であることは言うまでもない。ともすれば、なにかに追われ急かされ、常に「至急」の日々を送りがちなのが私達現代人だが、思い切って自然を味わう、「自ずと然り」の自然体に戻る時間をとってみるのも大事ではないだろうか。

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