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秋がきた

今年も酒造りのシーズンがやってきた。秋だ。蔵では、今季の仕込み前の掃除や道具準備に着手している。ついこの間の暑すぎる異常な夏は過ぎ、気づけばすぐ近くの田んぼは穂を蓄えた一面の稲で覆われている。クーラーも要らなくなってきた。扇風機ももう暫くすれば片付けることになりそうだ。日常の風景から季節を感じる、日本ならではの四季。思えば、日々の仕事はGoogleカレンダーに詰め込み、アプリ上で日めくりをしている。そこには、365分の1が刻まれる、無機質な絶対時間が刻まれている。PC・スマホ依存率が増すこの数年、風景を「観る」ことが減ってきた。時間は、事物の変化で駆動している。「時間は常に一定の速さで流れる」というニュートン以来の時間概念は、アインシュタインで補正され、個人的には西田幾多郎で着地した。生物の世界では、細胞の合成と分解であるし、人間社会では、各人の行動・行為が時を生む。個物・モナドのエネルギーが、時間という流れを産み出す。時間とは、一様ではない。ゾウの時間ネズミの時間、人によっても感じる時間のサイクルは異なる。Youtubeで四季なき「通年」感覚が無限再生できるいま、各イベントや祭事が中止され、ますます社会で「時間」を共有することがなくなってきた。今年は梅雨が長く、今年の猛暑は一挙に過ぎ去った感覚がある。四季は明らかに歪んできた。同時に、地球環境の変化に伴い、安定化していた四季のサイクルは歪み、新たな時間感覚へと時代が移行している。その極致は「通年」の四季無し感覚であり、バーチャルで均質なゼロイチの価値軸の時間感覚だろう。野山の風になびく木々の表情や、雄大な海原の幾多の波音は、メトロノームの如く均された幾何学的な美とは異なる何物かを知らしめる。無機質な時間感覚しか知らない、SF世界の未来の人類に憧れるだろうか。おそらく、その世界では、酒造りも一年間延々と酒造りがなされることだろう。少なくとも自分には、メリハリがないと無理だし、心が折れるだろう。。季節単位の時間を大事にすること、これは日本人として極力尊重していきたい。そこには、「効率化」「合理化」などの限定的かつ狭小な価値観をはるかに凌駕する何かが存在している。 文:西堀哲也

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